名古屋地方裁判所 平成元年(行ウ)1号 判決 1991年12月20日
名古屋市緑区有松町大字有松字橋東北一〇〇番地
原告
服部豊
同所
原告
服部憲明
右両名訴訟代理人弁護士
長屋容子
名古屋市熱田区花表町七丁目一七番地
被告
熱田税務署長 長谷正二
右指定代理人
佐々木知子
同
田中邦男
同
谷口好且
同
吉野満
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
亡服部孫兵衛の昭和五六年分ないし昭和六〇年分(以下「本件各年分」という。)の所得税について、被告が原告らに対し昭和六二年三月一〇日付でした更正(以下「本件更正」という。)のうち納付すべき税額が昭和五六年分につき四二二万〇四〇〇円、昭和五七年分につき六三六万〇一〇〇円、昭和五八年分につきマイナス二万四、四五六円、昭和五九年分につきマイナス一万六、六九〇円及び昭和六〇年分につきマイナス一三万五、六一一円を超える各部分並びに過少申告加算税及び重加算税の賦課決定(ただし、昭和五六年分ないし昭和五九年分の所得税に係るもの。以下「本件決定」という。)をいずれも取り消す。
第二事案の概要
本件は、課税処分の取消訴訟において、原告らの被相続人の利子所得(本件各年分)及び雑所得(昭和五八年分ないし昭和六〇年分)の額が争われた事案である。
一 争いのない事実等
1 孫兵衛は昭和六〇年九月九日死亡し、原告らのその共同相続人(原告豊は孫兵衛の長男、原告憲明は孫兵衛の養子)である。
2 孫兵衛の本件各年分の所得税に係る課税処分の経緯は、別表一記載のとおりである。
3 孫兵衛の本件各年分の所得金額等のうち、不動産所得、配当所得及び給与所得の額、分離課税の長期譲渡所得金額、所得控除の額、課税長期譲渡所得金額、税額控除の額並びに特別減税額は、別表二の<1>、<3>、<4>、<7>、<8>、<10>、<12>及び<13>の各欄記載のとおりである。
また、昭和五六年分の利子所得並びに同年分及び昭和五七年分の源泉徴収税額は、同表の<2>及び<14>の各欄の該当年の項記載のとおりであり、昭和五八年分ないし昭和六〇年分の確定申告に係る源泉徴収税額(ただし、昭和五九年分については役員賞与に係る源泉徴収税額を加えたもの。以下同じ。)は、それぞれ四八万一、四九四円、六六万二、〇二七円及び五〇万九、三六一円である。
4(一) 孫兵衛は、名古屋市緑区鳴海町字清水寺四五番一の土地七六四平方メートル(以下「本件土地」という。)を所有していた。右土地はいわゆる袋地で、宗教法人光明寺の墓地に隣接していたため、その墓地として造成分譲することが計画され、昭和五五年三月一〇日、光明寺に対し、同月八日売買を原因とする所有権移転登記手続がされた。次いで、光明寺において同年四月二二日付で名古屋市長の経営変更許可を受けた上、墓地造成工事が行われ、同年九月末ころ、墓碑二六〇基分の区画を有する墓地が完成した(以下「本件墓地」という。)。
(二) 本件墓地のうち、二二七基分については「光明寺霊園」の名称で公募により一般に売り出され、残りの三三基分については光明寺の取得分とされたが、売り出された二二七基分は同年五月から昭和六一年一〇月までの間にすべて分譲された。
なお、本件墓地の分譲は、分譲を受けた者が光明寺に墓地使用誓約書を提出し、永代使用料として一区画分につき二三万円を支払うという方法によって行われたが、光明寺は、事前の合意に基づき、分譲先から受け取った永代使用料すなわち分譲代金を碧海信用金庫有松支店の「宗教法人光明寺霊園代表役員大橋正雄」名義の普通預金口座(以下「本件口座」という。)に振り込んだ。
(三) 右分譲代金の総額は五、二二一万円(二三万円×二二七基分)であり、各年の分譲区画数及び分譲代金は別表三の「<1>分譲基数」及び「<2>総収入金額」欄に記載のとおりである(乙二一)。そして、本件口座に振り込まれた金員の中から、孫兵衛に対して本件土地の売買代金二、〇〇〇万円の支払(これについては既に孫兵衛の所得として申告されている。)及び本件墓地の造成分譲に要した経費合計九七九万〇、九六〇円の支払がされた。
(四) 本件口座に振り込まれた金員は、碧海信用金庫有松支店の本件口座及びこれと同一名義の定期預金口座によって運用され、別表四記載のとおりの利子を生じた。
二 争点
本件墓地の造成分譲による収益(別表三の<2>)及びこれを預金したことにより発生した利子(別表四)は、孫兵衛に帰属する所得であるか。
三 争点に関する当事者の主張
1 原告ら
(一) 本件墓地の造成分譲は孫兵衛と株式会社ルイジュアンとの間の合意に基づく両者の共同事業であり、光明寺との契約は右合意を前提としてなされたもので、孫兵衛とルイジュアンが光明寺の名義を借りて本件土地の墓地造成分譲事業を実行したものである。
すなわち、孫兵衛は明治三八年生の高齢であり、自ら墓地造成分譲の事業を行うことはできなかったため、本件土地を出資し、ルイジュアンは事業の企画から実行まで一切の業務執行を担当し、この事業に要する経費は分譲代金から支払うものとし、経費を支払った残りの分譲代金のうち二、〇〇〇万円を孫兵衛に対する利益として配分し、なお残余があればこれをルイジュアンの利益として配分するという合意のもとに、原告豊が、ルイジュアンの代表取締役として、本件墓地造成分譲の事業のうち光明寺との交渉、諸手続、造成工事の指揮監督等の業務を執行したものである。
(二) 墓地経営については、宗教法人の名義でなければできなかったため、光明寺に対し、その名義を利用させてほしい旨を申し入れ、双方の責任分担や利益配分について協議した後、孫兵衛、ルイジュアン及び光明寺の三者で契約を締結した。右の契約には、次のような条項が含まれていた。
(1) 孫兵衛及びルイジュアン側は、本件土地を墓地造成の目的で光明寺名義に譲渡し、所有権移転登記手続をする。
(2) 経費は孫兵衛及びルイジュアン側の負担とする。
(3) 墓地は「光明寺墓地」と称するものとし、光明寺は認可申請に必要な関係住民の同意を取りまとめ、分譲の窓口となる。
(4) 分譲代金は光明寺が購入者から受け取り、これを孫兵衛及びルイジュアンに支払うものとし、その支払方法として、光明寺は、まず、昭和五五年三月八日限り、五〇〇万円を立て替えて前払いし、その後、購入者から受け取った代金でこれを回収し、その後に受け取る分譲代金をすべて孫兵衛及びルイジュアンの指定する金融機関の取引口座に振り込む。
(5) 光明寺は、墓碑二一基分の区画については、その分譲代金を孫兵衛及びルイジュアンに支払う必要がない。
右うち、(2)及び(4)の条項は孫兵衛及びルイジュアンが実質的な事業者であることを明確に示すものであり、他方、(1)、(3)及び(4)の条項は本件墓地造成分譲を光明寺の名義で行う関係上当然に光明寺側の役割とされた事項であり、(5)の各項の趣旨は、光明寺の名義を借りる対価として墓碑二一基分の区画の分譲代金を光明寺に与えたものである。なお、ルイジュアンは契約書上右契約の当事者として表示されていないが、これは、光明寺の檀家総代である佐久間金臣からルイジュアンの名前では檀家に説明するのが大変である等と言われたためであり、契約書には「立会人服部豊」として原告豊が署名押印した。
したがって、孫兵衛は光明寺に対して、実質的に本件土地を売却したものではない。契約書上、五〇〇万円が売買の手付金として支払われた旨記載されているが、これは手付ではなく、墓地の造成分譲に着手する前に所有権移転登記手続をしてしまうことに不安を抱いたために交付を受けたものである。
(三) 原告豊は、本件口座の通帳及び届出印鑑を保管し、ある程度の金員がまとまるとこれを本件口座と同一名義の定期預金に移して運用管理していたものであり、本件墓地造成分譲の諸経費を本件口座から支払い、孫兵衛に対しては合計二、〇〇〇万円を支払った(ただし、内金五〇〇万円については、昭和五五年三月八日、光明寺が孫兵衛に立て替えて支払っていたものであり、昭和五六年九月三〇日、光明寺に返還した。)。
(四) 以上のとおりであるから、本件口座に入金された墓地代金から経費及び孫兵衛への利益分配をした残額は、孫兵衛との合意に基づきルイジュアンに帰属するものである。
2 被告
(一) 本件墓地造成に関してルイジュアンと孫兵衛との共同事業とするとの合意がなされた事実及び原告豊がルイジュアンの代表取締役として行動したという事実はない。
孫兵衛は、本件墓地の分譲について出資をし、造成費等諸費用を負担していたものであり、仮に原告豊が本件墓地の造成分譲に際して何らかの行為に関わったことがあったとしても、それは孫兵衛の長男として高齢の父を助けるべくなしたもので、ルイジュアンの代表取締役として同社のために行動したものではないというべきであり、その実質的行為者は孫兵衛である。
(二) 光明寺と孫兵衛との間に締結された契約において、光明寺は、本件墓地の分譲により受領した代金を直ちに孫兵衛の指定する金融機関の同人の取引口座に振り込むものとされており、孫兵衛は、右取引口座に当たるものとして本件口座を開設し、本件口座を通して、墓地分譲を行ったことによる利益の分配を受けていたのである。そうすると、本件口座及びこの資金を運用してされた定期預金は孫兵衛に帰属し、したがって、本件墓地の造成分譲による収益及びこれを預金したことにより発生した利子は同人に帰属するものというべきである。
第三争点に関する判断
一 証拠(甲一四ないし一七、乙一、二、四、九、一〇、乙一九の1ないし七、乙二三(原告豊の供述により成立が認められる。)、証人小林、原告豊)によれば、以下の事実を認めることができる。
1 孫兵衛及び原告豊は、昭和五四年頃、本件土地を墓地として造成分譲する計画を光明寺住職大橋のもとに持ちかけ、光明寺側は、檀家総代の佐久間金臣らが中心となって本件土地を光明寺の墓地とすることについて檀家全員の承諾を得た後(この事実は当事者間に争いがない。)、墓地の造成分譲を進めることとなった。
2 昭和五四年一〇月ころから、原告豊、光明寺檀家総代佐久間らが中心となって、光明寺と孫兵衛との間の役割分担、権利義務等について検討を重ね、結局、昭和五五年三月八日、光明寺と孫兵衛の間で本件墓地の造成分譲に関する契約を締結した。そして、原告豊と檀家総代の佐久間金臣は、右契約締結の際の立会人となった。
右契約によれば、孫兵衛は本件土地を墓地造成の目的で光明寺に譲渡し(一条)、墓地造成の工事の発注及び経費の負担は孫兵衛が行い(五条)、光明寺が墓地分譲の窓口となり(六条)、分譲代金については、昭和五五年三月八日にまず五〇〇万円を光明寺が立て替えて前払いし、その後入金された分譲代金の合計が五〇〇万円を超えたときは光明寺がこれを孫兵衛の指定する取引口座に振り込むこととし(七条)、墓碑二一基分の区画については光明寺がその代金を取得するものとし(同条)、孫兵衛は光明寺に対して本件土地の所有権移転登記手続を行う(八条)こととされていた。
3 また、右2の契約とともに、孫兵衛と光明寺との間で本件土地を代金二、〇〇〇万円で売り渡す契約も締結されており、その代金は孫兵衛が本件口座に入金された金員のうちから取得し、これに対応して、昭和五五年九月一〇日付ないし昭和五六年五月二一日付で孫兵衛から光明寺宛に土地代金の領収書合計七通が発行された。
4 本件墓地造成の設計は檀家総代の佐久間が知合いの設計事務所に依頼し、造成工事も同設計事務所の紹介した業者が行ったが、それらの費用は、本件口座に振り込まれた分譲代金から支払われた。
5 右2の契約に基づき孫兵衛が指定した口座は、本件口座すなわち碧海信用金庫有松支店の「宗教法人光明寺霊園代表役員大橋正雄」名義の普通預金口座であるが、その通帳及び銀行届出印鑑は孫兵衛の金庫に保管され、同人が入院した昭和五九年一月ころまでは同人が管理しており、その後は原告豊が管理していた。
6 昭和六一年五、六月ころ、光明寺の源泉所得税調査が行われた際、原告豊は、税務署職員に対して、本件土地の分譲等は孫兵衛がすべて行っており詳しいことは知らない、本件口座及びこれを運用してされた定期預金は孫兵衛の預金である旨の内容の申立書を作成して提出し、また、光明寺住職の大橋も、本件口座の印鑑及び右定期預金証書は最初から孫兵衛が所持していたとの内容の申述書を提出した。
二 右認定の事実及び前記第二の一の事実を総合すると、本件墓地は、本件土地を所有していた孫兵衛が、宗教法人である光明寺との契約に基づき、光明寺と共同して造成分譲したものであって、光明寺は本件土地を取得し、また、造成された区画の一部に対する権利を取得したのに対し、孫兵衛は造成費用を負担するとともに、本件口座に入金された分譲代金を取得したものと認めるのが相当である。
三1 これに対し、原告らは、本件墓地造成工事は孫兵衛とルイジュアンとの共同事業であり、分譲代金として本件口座に振り込まれた金員のうち二、〇〇〇万円は孫兵衛の取り分であるが、これを上回る金員については、本件墓地の企画から実行までを担当したルイジュアンに帰属するものであると主張し、原告豊及び証人岡はこれに沿う供述をしているほか、ルイジュアンは右収益を昭和五九年七月期には売上金として、昭和六〇年七月期から昭和六二年七月期までは雑収入として確定申告をした事実が認められる(甲八ないし一一、証人岡)。
2 しかしながら、前記一認定の事実及び証拠(甲七ないし一一、一三、一八、乙二、一一、乙一四の一、二、乙一六、乙一七の一、二、乙二一、証人岡、同小林、原告豊)を総合すると、以下のような事実が認められる。
(一) ルイジュアンは、昭和五三年八月一五日に、事業の目的を衣料品の企画、製造、販売、繊維衣料品の委託加工、これらに付帯する一切の事業として設立された会社で、その代表取締役は原告豊であり、その本店は、昭和五六年二月までは東京都港区あるいは中央区に所在し、同月四日付で名古屋市天白区に移転した。しかし、昭和五八年一一月ころ以降は、多額の負債を抱えて事実上休業状態となっていた(この事実は当事者間に争いがない。)。
(二) 本件墓地の造成分譲の過程で作成された契約書等にはルイジュアンの名は一切用いられていないし、本件墓地の分譲の窓口は光明寺であり、造成工事等の業者に対する発注の関係でも、その主体は光明寺であり、ルイジュアンの名は用いられていない。
(三) 分譲代金の入金の記帳、本件口座への振込み等はすべて光明寺住職大橋が行っており、ルイジュアンの会計処理上は、本件墓地の造成分譲に係る入金及び出金の状況は記帳されていない。
(四) ルイジュアンの昭和五九年七月期から昭和六二年七月期にかけての確定申告においても、本件口座から現実にルイジュアンに入金されたとする金額を申告したにすぎず、経費は計上されていないし、また、昭和五八年七月期以前には、本件墓地造成分譲に関する申告はされていない。
(五) ルイジュアンは多額の負債を抱えていたので、本件墓地分譲に係る収益をルイジュアンの所得として申告しても、そのために税金を払う必要は生じなかった。
3 右事実によれば、本件においては、ルイジュアンが本件墓地の造成分譲事業に関与したと認めるべき客観的な事情はなく、また、本件口座に入金された分譲代金のうち本件土地の売買代金に相当する二、〇〇〇万円を超える部分がルイジュアンに帰属するものとみるべき事情もないというべきであり、証人岡及び原告豊の供述以外には、ルイジュアンと孫兵衛との間に両者が共同で墓地の造成分譲事業を行うとの合意がなされたことを窺わせる客観的な証拠もない。
このような事実関係のもとで、原告豊が、その供述するとおり、本件土地を墓地として分譲することを発案し、必要な調査を行い、光明寺との折衝に当たり、墓地造成の設計に関与し、造成現場に立ち会って必要な指示をなし、また、高齢の父親孫兵衛に代わって本件口座に入金された金員の運用に当たっていたという事実があったとしても、それは、原告豊が、本件土地の所有者であり光明寺との契約の当事者である孫兵衛の長男として、個人的に関与したものであるとみるべきであって、ルイジュアンの代表取締役として同社のために行動したものということはできない。
なお、原告豊は、ルイジュアンも光明寺との契約(前記一の2)の当事者であったが、光明寺の檀家総代佐久間から同社の名前では檀家に説明するのが大変である等と言われたため、契約書に同社の名を記すことなく「立会人服部豊」として署名押印したものであると供述するけれども、檀家とは直接に関係のない右契約について、そのような配慮をする必要があったとは考えにくいし、また、檀家との関係に限らず、対外的な行為について一切ルイジュアンの名が用いられていないことの説明として合理的なものとは到底いえない。
4 したがって、原告豊及び証人岡の前記供述並びにルイジュアンが本件墓地分譲の収益を申告していたとの事実をもってしても、前記一及び二の認定を左右することはできず、原告らの前記主張は理由がないものというべきである。
四 結論
1 以上のとおりであるから、本件墓地を分譲して得た収益及びこれを預金したことにより発生した利子は孫兵衛に帰属するものであるところ、右収益は孫兵衛の雑所得に当たり、前記第二の一4(三)の事実によれば、孫兵衛の本件各年分の雑所得の金額は、別表三記載のとおりの計算により同表「<5>雑所得の金額」欄記載のとおりとなることが認められる。
また、右利子は孫兵衛の利子所得に当たり、前記第二の一4(四)の事実によればその額は別表四の「合計」欄記載のとおりであり、右利子所得に係る源泉徴収税額は同表の「源泉徴収税額」欄記載のとおりであって、昭和五八年分ないし昭和六〇年分の源泉徴収税額は、前記第二の一3のとおりの確定申告に係る源泉徴収税額を加えたものとなるから、それぞれ六六万九、三三八円、八三万六、六〇一円、六〇万二、二四九円となることが認められる。
したがって、孫兵衛の本件各年分の納付すべき税額は、前記第二の一3の事実及び右各事実を総合すると、別表二記載のとおりの計算により(ただし、<9>欄及び<10>欄記載の金額は国税通則法一一八条一項の規定により一、〇〇〇円未満の端数は切捨て)、同表の「<15>納付すべき税額」欄記載のとおりとなることが認められるから、これと同内容の本件更正は適法であるということができる。
2 また、前記各認定によれば、孫兵衛は本件墓地の分譲による収益を「宗教法人光明寺霊園代表役員大橋正雄」名義の預金口座に振り込ませ、これを同名義の定期預金によって運用し、右収益及び利息を一切申告せず、昭和五六年分ないし昭和五九年分の所得金額を過少に計算した確定申告書を被告に提出したものであり、右行為は、昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法六八条一項及び昭和六二年法律第九六号による改正前の同法六八条一項にいう「納税者がその国税の課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺいし、又は仮装し、その隠ぺいし、又は仮装したところに基づき納税申告書を提出したいたとき」に該当するものと認められる。そして、本件決定は、右隠ぺい額に該当する部分の税額を基礎として右条項により重加算税を賦課し、並びに昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法六五条一項及び昭和六二年法律第九六号による改正前の同法六五条一項により計算した金額の過少申告加算税を賦課したものであり、いずれも適法な処分ということができる。
3 したがって、本件更正及び本件決定はいずれも適法である。
(裁判長裁判官 瀬戸正義 裁判官 杉原則彦 裁判官 後藤博)
別表一
課税処分の経緯
昭和56年分
<省略>
昭和57年分
<省略>
昭和58年分
<省略>
昭和59年分
<省略>
昭和60年分
<省略>
別表二
本件各係争年分の所得金額
<省略>
別表三
雑所得の金額
<省略>
(1) 墓地の分譲に係る利益割合の計算式
<省略>
(2) 墓地造成に要した費用
<省略>
別表四
利子所得
<省略>